Thunderに増田貴久の強さを見た
「あめさんはThunderどう思う…??」
『私は…Thunderは…増田貴久の勝利だと思う。』
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
Thunder。2018年発売のNEWS/EPCOTIAに収録された増田貴久によるソロ曲。
最後も最後、通常盤の23曲目に収録された問題作。今だけは問題作と呼ばせてほしい。私の中では大問題だったから。
NEWSが今年リリースしたEPCOTIAは前年のNEVERLANDに比べて非常に聞きやすいまとまり方をしたアルバムだなと思っている。
端々にいろんな“重さ”を感じるNEVERLANDに対し、どこか軽やかに進んで行く。しかし聞き込んでいくと新たな発見がたくさんあり、聞きやすいのに飽きがこないというなんとも泥沼なアルバムが出来上がったなと思う。
ただ、一番最後のThunderだけは、異様だった。
増田さんは近年ソロ曲を何度もRyoheiさんに依頼している。
かなりの信頼関係ができあがっているのだろう。増田さんの好きな曲、やりたい曲は大抵私好みなので自担のソロ曲にハズレがないというなんとも幸せなオタク生活を送らせていただいている。
今年だって制作陣から察するに大当たりだと確信していた。
それなのに、初めてThunderを聞き終えた時の私はなんとも言えない感情に支配されていた。怖かった。
リズム感の良さを存分に生かし、年々丈夫になってきているのであろう喉を最大限に使いこなす増田さんは本当にかっこいいし自慢の自担だ。2018年現在の増田貴久の持ち味を前面に押し出した、まさに今できる一番かっこいいうたを聞かせてくれたんだと思った。
ではなにが問題なのか。その歌詞である。
いつだったか、小山さんがラジオで「まっすーのうたってる顔を想像する」ような事を言ってた気がするんだけど、まさに私もそのタイプで初めて聞く楽曲の時は必ず脳内の増田さんがいろんな顔して歌ってくれる。
そのノリでThunderを聞いてしまった私に誰か同情の言葉をかけてくれてもバチは当たらないと思う。
“怒り”は結局のところ最初から今に至るまで感じたことはなくて、“内面から出てくる抑えきれないもの”がドバッと出てきたようなそんな感じ。シゲの言葉を借りるなら“葛藤の放出”なのかな。昨年のソロ、FOREVERMINEを初めてコンサートで聞いた時、その素晴らしさに私はNEWS担として腹をくくったけど、
ありがとうのNEVERLAND(ネタバレなし) - 食わず嫌い記録
今年は増田さんが腹をくくったと思った。ものすごく強い。パワーというか、みなぎる力が攻撃的に見えるほど。思春期のやり場のないムカつきみたいなものに似てそう。
Am I still your star?
Still your charisma?
Am I still your hope?
Still your hero?
ここ。
ヒーローでいられるか?希望でいられるか?って歌詞が、アルバム発売直前に更新された〇〇の
俺は世界一になれないかもしれないけど、
お前の1番になれたならそれでいい
に通ずるものがある気がする。誤解を恐れずに言うなら、おこがましいけど“求められた”な、と思う。
増田さんはアイドルだけど、我々ファンがいないとアイドルとして成立しない。求める声がないと、スターにも希望にもならない。
だから私の立場が上!なんて話では一切ない。自担を愛する故にお金と時間を費やし、我々が望むからこそ増田さんはステージに立つことができる。ーお金と時間ー人生においてとても大切なものを消費し合う関係。だから私たちの関係は愛情がなければ成立しない。でも、求めるものが同じで、かつ同じ夢を見せてくれる。だからアイドルとオタクの関係ってのは幸せなんだ。
特にこの部分の歌詞は愛を試されているようにも感じるし、愛を求めているようにも見える。
Thunder(雷)というタイトルにも関わらず、私はどうしてもこの曲に雨を降らせてしまう。
前も向けないような豪雨。
全てを洗い流し、ありのままの彼が
見くびるな 自分で支配するんだ
哀れむな いちいち フラついてられないんだ
とうたう。
雨の中、無防備な増田貴久が吠えている。まるで威嚇するように。不思議なことに、私はこの曲から自分を拒絶されたとは思わなかった。
見くびってなんかないし哀れんだことも一度もないよ。
あなたが強い芯を持って生きていることはわかっているよ。って、どうしてもこの部分を聞くと強く否定したくなる。あとあわよくば抱きしめてあげたい(どさくさ)
私は増田貴久が大好きだから、もともとの心配性も後押しして日々色んなことを心配してる。
「体調崩してないかな〜」「今日はいい歌歌えたかな〜」「腰は痛くないかな〜」「新しいお仕事が始まったけど疲れてないかな?楽しんでるかな?」etc…
でも、言わない。
ファンに心配をかけてしまったと思わせたくないし、何より私は「増田さんなら大丈夫だよ!今日もいいうた届いてるよ!」って言い続けるオタクでありたいから。(そして裏で友人たちに泣きつくタイプ)
特にステージでは誇りもプライドも持って立っているだろうから信じてあげたい。信じてあげられるオタクでいたい。
いろいろと自分なりに歌詞を紐解いてみたりもしたし、人の意見を聞いてみたりもしたけど、やっぱり最初に感じてメモしておいたことと今思うことがおおかた一致してるので一番最初に感じたことがなにより大切なタイプなんだと改めて思い知らされた。
そして、私はアイドルならではの辛さとか、矢面に立つ人間の気持ちとか、やったことないからわかんない。ごめんね。
でも私はあなたたちみんなを一人の人間だと思ってるよ。いつも。あなたたちが見せてくれるものに対して敬意を払って接しているつもり。
一人の成人男性で、人の子で、職業が、アイドル。ただそれだけだと思ってるから、今までもこれからも私は変わらないかな。
さて、冒頭の会話に話を戻そう。
この会話は2018年3月31日、EPCOTIA初日公演を終えてから友人と交わした会話である。
私はなぜ、Thunderの結論に“勝利”と言う言葉を使ったのか。
先述したとおり、Thunderの制作陣クレジットに増田さんの名前はない。
コンサートで披露する時のイメージを伝え作ってもらったとのこと。細やかなリクエストやリリックのチョイスがあったのかもしれないしなかったのかもしれない。
しかし、昨年のあやめのような、本人の作詞作曲とこれではまるで意味合いが違う、と思った。
これは増田貴久がうたう、誰かが作ったうた。
増田さんは歌い手として歌を歌い、私を数日間確実に悩ませてくれた。
それって表現者として完全に“勝利”ではないだろうか。
心にピリッとした刺激を残し、何事もなかったかのようにスッと消えるアウトロ。
まさに儚いアイドルそのものだと思う。
これに気が付いた時、私はやっぱり増田貴久に惚れ直した。
そしてこれからも彼の掌の上を転がっていられるオタクでいたいと願うばかり。