食わず嫌い記録

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できることならスティードで 2017秋

いつも届く雑誌の梱包より一回り小さい包みがポストに入っていた。

小説TRIPPER。加藤シゲアキがエッセー「できることならスティードで」を連載している。

 

このたび心を激しく揺さぶられたのでブログを書く運びとなった。

 

私は自他共に認める「じいちゃんっ子」だ。

私は全親族の期待を見事に裏切り「女の子の赤ちゃん」として生まれてしまった。

時代が時代ならさぞ落胆されたのだろうが時は平成を目前に控え、跡取りだなんだとうるさく言わなくなった頃だった上に初孫だったためたいそう可愛がられた。

こんな風にかわいがられた、と書くと

「好きなものを好きなだけ買ってもらったんだろうか」

とか

「わがままを全て叶えてもらうような家庭だったのだろうか」

と思われるかもしれない。

でも愛情表現とは面白いもので、私はおそらく孫の中で一番祖父母に叱られて育った。

ただ、そこに間違いなく愛はあったのだろう、現に私は祖父母が大好きだ。実家に帰る頻度よりも祖父母の家に行く回数の方が断然多い。そして全ての孫が成人し、社会人になった今、年間通して誰よりも祖父母に会っているのは私だろう。そのくらい、祖父母はとてつもなく大きな存在で大切な人なのだ。

 

 

 

自分にとってはこれがそんな当たり前な事なんだけど、みんながそうとは限らない。

 

 

先日のラジオでお祖父様が「鬼籍に入った」と

シゲが言った。もちろん私が「キセキ…?」となった頃TLに流れてきたツイートでその漢字と意味を知ったわけだけど。

以前もクラウドに掲載されていた通りお祖父様はどこかの施設に入居していたらしい。

私自身は身内の認知症を経験したことは無いのだけど、仕事柄高齢者と関わることがとても多いので、その壮絶さ、そして家族が抱く切なさはなんとなくわかる。

 

今回の連載を読んで、「シゲが羨ましいな」と思った。

お祖父様に対して好意的ではなかったと記されているけど、身内に対して心の底から嫌悪を抱く人では無いだろうから、シゲなりに「おじいちゃんを好きになりたい」と思ったこともあるだろうしもしかしたら他の孫に紛れて甘えるのが苦手だったかも。ひょっとしたらそんな自分に嫌気がさした日もあったかもなあ…。

だけど物理的な距離感や、子供だったからこその誤解、気付かなかったお祖父様の優しさや強さを死後に知るのは羨ましい。

私とは真逆だから。

時々、自分の祖父がそうなってしまったらどうしようかと思う時がある。

何もかもわからなくなって、私のことも忘れてしまう日が来たら、私の大好きな真面目で、ひたむきでユーモラスな祖父はその時点で死んでしまうのでは無いかと思ってしまって。

そんな時、こんなにも物理的、心理的にそばにいる私は耐えられるのだろうか?

最後にシゲがお父様の涙について記したように、家族(身内)だからこそ見たくない弱さって絶対にある。心配だし気にもかけるけれど、受け止める自信がないのだ。すくなくとも私は。

ただこの連載の中にも救いはあって、お祖父様とお祖母様が手を握り合うシーンは安易に想像できるものだった。

西日というのはそれだけでとても暖かく切ない。そこでなかなか見ることのできない自分の祖父母が手を握り合うシーンに出くわせば、最も濃い思い出になるのは避けられないだろう。

 

きみに読む物語」と言う映画がある。時代背景もストーリーも文句なしの私好みで何度見たことかわからない。

認知症の妻に夫が自分たちのラブストーリーを聞かせるお話で、ラストはいつだって号泣必須なのだ。そこでも妻は最後に夫のことを突然思い出す。「あなたなのね、」と。

 

愛し合った2人がいたから、親が生まれた。だから自分も生まれた。このリレーを繋げるかどうかはわからないけど、全てはそこから、いやもっと前から始まりは「夫婦の愛」なんだ。

祖父母の金婚式を祝った日の帰り、私は祖父母にこう尋ねた。

「50年間で一番嬉しかったことはなに??」と。

すると祖母が思い出してまた幸せになったような顔をして、

「あなたが生まれた日が一番嬉しかった。宝物が増えた気がしてなんだかくすぐったい気持ちだった。」と言った。

その場には私達夫婦と祖父母しかいなかったからこんな風に言ったのかな、とも思うけど、私にとっては十分すぎる回答だったのは間違いない。

 

何もかもわからなくなって、歌って踊るほう、小説を書くほう、どちらの自慢の孫もわからなくなったとしても手放したくない記憶が夫婦の愛なら、本人たちにとってそんなに幸せなことは無いのだろう。それが一番だ。

 

 

祖父がくれた言葉で最も印象深いものがある。

「この人と結婚したい。」と初めて夫を祖父母宅に連れて言った時、祖父は夫に「大したことはできない子だけど、明るい子に育てたつもりです」と言った。

近くにいたとはいえ一緒には暮らしたことがないので「育ててもらった」という実感は正直なかった。だけど「孫を育てた」と言い切るほどの祖父母の愛情の大きさをこの時初めて知ることになった。

そしてその一言で夫はたくさんのことを察知したのだろう、今では私と同じくらい、私の祖父母を大切にしてくれている。私の大切なものを同じくらい大切にしてくれる、これもまた夫婦の愛なのかもしれない。

 

純白のウェディングドレスをまとった私は、どうしても祖父とツーショットを撮りたいとわがままを言った。

礼服を着た祖父が私の右側に立ち、腕を組んだ瞬間、私達2人は大爆笑した。照れ臭くて、なんだかおもしろくって、切なくて、そして泣いた。

自宅のリビングには今もその写真が飾ってある。若い花嫁と白髪の老人が腕を組んで大爆笑している、幸せな幸せな一枚の写真。

 

会えるうちにたくさん会おう。

明日はどうなってもおかしくない。

いつか来るその時、「たくさん楽しい思い出があってよかった」と思えるように。

できるだけ後悔しなくて済むような別れにしよう。