食わず嫌い記録

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いのちのうた2017 平和と多様性

私の両親は、比較的若い。

祖父母も、割と若い。

 

祖父母は子供時代、“戦後を生きた子供”として育ってきた。

 

そしてこれは地域差が大きいと思うんだけど、私の祖先は代々この地にしか住んだことがなくて、夫も同じパターン。

何が言いたいかというと、“戦争”や“原爆”はある種違う国の話に感じる程私にとっては遠い話なのだ。

経験した人が身近には居なかったから。

 

私がこう感じる理由はもう1つある。

地元の高校生は大抵広島へ行き、原爆ドームを見て、資料館の悲惨さに打ちのめされて帰ってくると言うのがセオリーだ。

ただ、なぜか私は全然違う地へと修学旅行へ行っている。これがなんの理由だったのか未だにわからないけど。

だから私は、原爆ドームに行ったことがなかった。

 

抜きん出た愛国者とか、全然そんなんじゃないんだけど、無かったことにするのは絶対にダメなんだと思う。

あの時代を生き抜いた人たちが居てくれたから、いま私達がこんな風に幸せに生活できるのだから。

だからせめて、この時期だけでも、そんな各地を思い出そうと努めている。と言っても、ネットニュースにまとめられている話を見たり、終戦記念日近くに放送される映画を見たりする程度だけど。これはほぼ学力や熱量の注ぎ具合の問題なので大目に見ていただきたい。何もないゼロの状態よかいいかなって程度。

 

わざわざこの地から広島へ行く理由なんか正直、ない。

ただそれはある日突然この身に降り注ぐ。

 

きっと一生行かないんだと思っていた広島へ行くことになった。NEWSとお友達に導かれて。

偶然なのだけど、私は広島の地を踏めることが嬉しかったんだと思う。嬉しかったといえば少し語弊があるけど、この国に生まれたものとしてはやはり見ておきたかった。

 

そして私は、大人になったあの日突如、原爆ドームに行った。

偶然か必然か、広島グリーンアリーナ原爆ドームと目と鼻の先にある。

電車に乗って会場へ行く途中、その駅で降りるとたくさんの木が青々と生い茂っている。その隙間からは少しだけ光が差していて、あの暑さの中ではありがたい日陰と爽やかな明るさを形成している。

少し開けたところにそれはある。

静かに眠るように、そして、思ったよりも小さく。周りを柵で囲まれているけど、その存在感には背筋が伸びる思いだった。

時間がないので、半周だけしてみる。

綺麗に生えそろった芝生の上に「あなたたちはいつからそこにいるの?」と問いかけたくなる瓦礫が落ちている。

生い茂った木、所々花が咲いている芝生、腹立たしいほど青い空と、力強く照りつける太陽。

その中にぽっつり佇むそれは、そこだけ色がない世界だった。今風に言うなら、風景の写真をそこの部分だけアプリで加工したみたい。

そしてその公園内だけは、時間の流れが外と少し違っているようだった。

 

半周したところで、踵を返して会場へ向かう。

絶対に自分は悪くないんだけど、どこからか湧き出る「ごめんなさい、」って気持ちと、それじゃあなんだか同情しているようでそれもまた申し訳なくなって無理やり「ありがとうございます」って心の中で呼びかけて。

これはどんな風に思ってあげるのが正解なのか私にはわからないなぁと思いながら、汗を拭いてまた早足で歩き出す。

 

そうだ、私は歩くのが速いんだ。歩幅が大きいのかも。人より早く歩いてしまう。すごくせっかちだから。

そんな自分がゆっくりと、時々立ち止まったりして、あの策に沿って半周歩いた事に意味があるのかもしれないな。

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去年、突然思い立って「この世界の片隅に」を見に行った。普段は絶対にそんなことしないのに、1人で映画館に行った。

好きな俳優が出演していたとか、主題歌が好きだったとか、全然そんなんじゃなくて、ただただ1人で観に行こうと思った。

ラストに差し掛かった頃に「これは数年前にテレビドラマで放送したやつでは…?」と気付くくらい鈍感に生きているわけだけど。

 

あの時代にも幸せがあって、恋もするし、恋が拗れたりするし、意地悪な人も居るし、親切な人もいる。楽しみだってあるし、趣味も持つし普通に笑うし…これが全てだとも思っちゃ居ないけど。

人間はどんな世界に立っていたとしても、そんな風に生きてしまうものなのかな、と逆に諦めがつくと言うか、強さとか、生きることへのしぶとさとか。その適応力が健気で力強くて美しい。かわいそうだけで済ませるには失礼かなとか。

なんだか沢山の感情が渦巻いて、観終わった時にはすっかり疲れ果てていた。

ただそれは嫌な疲れではなくて、ポロポロと出てくる感情を抱えきれなくなっていただけなんだろうけど。

 

そんな事もあったので、広島行きが決まった時、すぐ呉に行こうと思った。

あの段々畑や、高いところから見える海、そしてその海で異様な存在感を放っていた戦艦。そんなのも観たかったのだけど、時間を考えればコンサートを諦めない限り無理だったので、悔しいけど諦めた。

 

次、広島へ行ける時があったら、必ず私は呉に行くだろう。

なんだか“気になる”のだ。

あの主人公が嫁いで行った緑豊かな呉が、戦後70年以上たった今、どんな風に人々の生活を支えて居るのかが。

何かを期待しているわけではないんだけど、何かを感じる事になるとは思う。

 

 

初めて広島の地を訪れる直前に舞い込んだ「いのちのうた」メインMCの話。

これがあったから尚更観ておきたかったのもあるけど。なかなか行けないしね、遠いから。

もちろん、応援しているグループからメンバーが大抜擢された嬉しさもあるけど、風化していると言われ続けている戦争に関して、言葉を紡ぐものとしてシゲが選ばれたのはやっぱり嬉しい。

罪のない人が戦いに巻き込まれて、穏やかな日々や幸せな暮らしを脅かされるのはもうごめんだなあ。

でも人間は今までも争いを繰り返してきた生き物だから、もしかしたらこれから先自分が死ぬまでにそんな目に合ってしまうかも。

逆に72年間日本が戦争をしなかったのは、戦後を生きた人達が未来、つまり今わたしの生きる現在が穏やかであるように守ってくれていたんだろうなと思う。

それはリアルタイムで戦争を経験した人達が居たからというのが大きいのかも。

だったらこの先、戦争を経験した世代が守ってくれる時代が終わった時、自分たち若い世代が守ってもらったこと、戦争とはどれだけ恐ろしいことで愚かなことなのか、を次の世代に繋いでいかなければならないのだろうとも思う。

そのためにはやはり知識や個人の意思が大切なんだろうし、そのきっかけがアイドルだったとしても、とても意味のあること。

 

全国放送で自宅のテレビに映し出された加藤シゲアキ君は少し緊張の面持ちだったけど、しっかりと胸を張ってそこに立っていた。

顔面の美しさもさることながら「小説家としてデビュー」のテロップが出てきた時はとても誇らしかった。

歌も歌えて、踊れて、かっこよくて、言葉を紡ぐ唯一無二のアイドル。

石川さゆりさんや南こうせつさんと共に歌い、STU48の若いお嬢さんをリードする姿はとってもハンサムだったな!!

シゲちゃんと同世代のわたしは今、こんな風に上の世代と下の世代をつなぐ大切な役割を持っているのかも。と改めて考えさせられました。

 

U R not alone

きっと、たくさんのリクエストがあったU R not alone。

NEVERLANDツアー中に沢山の涙が流れたのは、この曲のパフォーマンス中だったはず。

NEWSが「みんなは1人じゃない」と体を張って伝えてくれたこの曲を今回は合唱で。

「みんなが歌えるように」と音程を考えて作られたこの曲を歌いながら胸を熱くした日々が蘇ってくる。

それを自分たちよりももっと若い世代がNEWSと一緒に歌ってくれたのが本当に嬉しかった〜!!!!!

「もっと若い時にこの曲に出会いたかった」って思った人はたくさんいると思うんだけど、実際に若い世代を支える一曲に成長して行ったらいいなあと強く思う。

そう願う明確な理由がある。自分自身はU R not alone自体を好きな気持ちより、もっともっと大きくU R not aloneをうたうNEWSが好きという気持ちを持っている。

アルバム発売後、初めてこの曲を聴いた時、私には荷が重いなあと思った。

正しくまっすぐに生きていないと、この曲に励まされるのはなんだか申し訳ない気がして。

だけどツアー中、NEWSはその名の通り髪を振り乱し、時に涙を流し、自分たちとU R not aloneを重ね合わせるように全身全霊でこちらにぶつかってきてくれた。

そして毎公演、「みんなは1人じゃないから。NEWSがいるから」と言ってくれた。

あぁ、私はこんな風にパフォーマンスしてくれるNEWSが大好きだなあってみるたびに思った。

そんな風にまっすぐにぶつかってくるような人達だから、こちらもまっすぐぶつかっていきたい。

こんな姿を見せてくれるNEWSに恥じない自分でいたい。そんな風に思えてからは、U R not aloneがとても大切な曲になった。

そして漠然と、この曲を提供してくれたGReeeeNに対しても感謝の気持ちを持つようになりました。

沢山の思い出があるし、とても特別な一曲だからこっそりとNEWSとNEWS担の中で愛でても良かったのかも。でもきっと、そんな狭い世界で終わるような曲じゃない。

沢山の人に届くべきだし、少しでも誰かに寄り添えるはずだと思います。そして、なんとなく、NEWSもそれを望んでるんじゃないのかなって思ってる。完全に憶測だけど、それがNEWSの望みであってGReeeeNへの恩返しにもなるんじゃないのかな。

これからのU R not aloneにも期待しています。

私たちの元から羽ばたいて行けますように。

 

あやめ

加藤シゲアキが歌う「平和と多様性」

の紹介から始まったあやめ。

本当に驚くことに、いのちのうたのあやめを見てからやっとあやめの感想がポロポロとこぼれ落ちてきた。

それはなぜか。

あやめ…なんだかすごいのはよくわかる…ただとてつもなく難しい匂いがする…と、実はちゃんとあやめと向き合えてなかったんだと思う。

だってね、解説も考察も難しい言葉のオンパレードで気が引けてしまって。自分増田担なんでね…すいません…へへ…って相当スルーしてきたんだけどここに来て難しいなりに感覚で好きだなと思っていた理由がわかった気がする。

沢山の人があやめについて考察を展開してくれているし、加藤シゲアキ本人からもあやめについてはかなり語られていますので、オフィシャルな情報はそちらを参照ください()

あくまでも私が感じたことだけ。

 

あやめを語る上で避けては通れないワードが「多様性」。

 

多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

 

多様性でググると一番上にこんな文章が出てきます。

(多様性を8月までググらずに過ごした自分もどうかとは思うけど)

思考や好みが似た人はたくさんいるけれど、それは決して全て同じではない。

性質(性格)は全て異なり、あなたと私は同じではないけれど、互いを尊重するべき。

と、私は解釈しました。

これって、まさに私が数ヶ月かけて探していたものなんですよね。

装苑のブログ『増田貴久が手がけるNEWSの衣装』装苑2017.9 - 食わず嫌い記録のあとがきでも触れたけど、みんながそうだからってそれが正解じゃないし、相手に敬意を払うことを大前提として自分の気持ちも大切にしなきゃいけないんじゃないのかなって。

あなたと私は同じものを同じくらいに好きだけど、あなたと私は別の人間であってただ一部がリンクしただけ。でもそのリンクした部分はとても大切なつながりだし、相手の“個”同様に大切にするべきなんだろうな、と思う。

私は本当に自分と誰かの境目がわからなくなっている時があって、まさに

青と藍と紫のボーダーライン見極めるなんてできないんだ

状態だったんだけど、(でもこれは違う解釈があると思う)

いずれあやめかかきつばた

とあるように、行き着くところはそれぞれ違うんだろうな、と思う。

わたしはわたしで、あなたはあなた。

一見とても冷たく見えるけど、自分も相手も大切にしたい。そうすれば無駄な争いやすれ違いは少しでも減るんじゃないのかな。

紙で切れた指先のように

伝わらない痛みを忘れないように

結局のところ、人の痛みはわからないし、すぐに忘れてしまう。だけど人はその痛みを感じとることができるし、想像することはできる。

痛みの具体がどの程度かはわからずとも、紙で指が切れれば痛いことも私たちは知っている。

 

決して空想 夢想の彼方

今だけはキスしてよ

あなたとわたしがリンクして繋がっているのはとても儚くて奇跡に近い。

でも今こうしてそばにいるのはまぎれもないリアルであって、繋がりを持ちたい。そんな意味合いのキスなのかなあって。

 

戦争という大きなテーマ以外にも、家族間や友達間にも同じことが言えると思う。近くにいる人から大切にしていきたい。やっとあやめの偉大さに気付けたパフォーマンスでした。

 

こんな風に、日々沢山の事を考えて、たまに悩んで、基本は幸せだな〜楽しいな〜って思いながら過ごせている毎日に感謝している。

この世界は私が思っていたよりもずっと優しくて沢山の愛に溢れてる。

こんな穏やかで愛おしい日々が永遠に続きますように。

いや、必ず続かせてみせる。これからを担う世代として。

 

 

シゲちゃん。今回、こんな風に向き合う機会を与えてくれてありがとう。

できる事なら避けて通りたい。本当は。だって見るのも聞くのも辛いし悲しい。でもね、私達はこれからの未来を守っていかなきゃいけない世代なんだよね、きっと。

守っていこうね、ずっと。この幸せな世界を。

 

NEWSへ。

今年広島へ連れて行ってくれてありがとう。親戚も友達もいない広島へはきっとおばあちゃんになったって行けなかったと思います。

だから今度は長崎へ連れて行ってね。

それまで長崎の旅は取っておこう。

浩ちゃんと母さんが暮らしたあの街も、私は見たいから。